ホイットニー・ヒューストン。ステージでの顔と、プライベートで見せたはじけるような笑顔。
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ホイットニー・ヒューストンの急逝のニュースを最初に目にしましたのは、
前回の私の記事でジョーン・バエズのことを書いていました、まさにその時でした。
そこで私は、つい・・・、世界的に脚光を浴び名を残した、
偉大なこの二人のシンガーの人生を対比的に思わざるを得なかったのです。
かたやジョーン・バエズは18歳で歌手として活動を始めてから、
一貫して黒人の公民権運動と、そして反戦と平和を祈る唄を歌い続け、
その活動ゆえに、何度か投獄されたこともありましたが、
ブームは去り、時代は移ろい、
そして彼女自身も齢(よわい)を重ね、70歳を超えた現在(いま)でも、
ただ地道にひたむきに、己の信念を貫いて、
路上や、野外コンサートを中心に・・・歌っています。
かたやホイットニー・ヒューストンは、
幼いころからゴスペル歌手だった母親の英才教育を受け、
また、従姉(いとこ)にはあのディウォンヌ・ワーウィックらがおり、
10代のころからチャカ・カーンらのバックコーラスをつとめ、
さらにはホイットニーの名付け親であり、のちに代母となったのが、
アレサ・フランクリンなのですから、すごいですね。
そんなエンターテインメントの王道を歩み、
1985年、22歳の時に出したデビューアルバムはベストセラーになる大ヒットとなりました。
パワフルな4オクターブの魅惑の歌声は世界中を魅了し、
皆さんご存知の「ボディーガード」の「オールウェイズ・ラブ・ユー」につながっていく訳です。
ただし、世界の人々を感動させたその類い稀なる才能と、
エンターテインメントでの大成功とは裏腹に(あるいは、それがゆえに・・)、
その後の彼女の人生は悲惨を極めたものになっていったようです。
夫からのDVや、薬物依存症、アルコール依存症、などなど・・。
そして悲しいことに、つい先日、彼女のステージの幕は永遠に閉じられました・・・。
さて、ジョーン・バエズとホイットニー・ヒューストン。
この二人のシンガーの人生を、もちろん比較することはできませんが、
どちらも偉大なるシンガーであることは、間違いありません。
運命ってこともあるのかもしれませんが、
「幸せって、いったい・・・???」ってことも含めて、
ある種の感慨を持って私の心にひっかかり、
考えさせられたこの一週間でした。
なにはともあれ、私にもまたその驚異的な歌声で感動を与えてくれた、
ホイットニー・ヒューストンの早すぎる死を悼み、
心からご冥福を祈りたいと思います。
多くの方々のブログの中で、ホイットニー・ヒューストンの死去について取り上げられ、
彼女自身の歌声をYouTube等の映像で掲載されておりますので、
ここでは、私のブログではお馴染みになってきました、
南里沙さんがホイットニーの不幸なニュースの直後に、追悼の気持ちを込めて、
「オールウェイズ・ラブ・ユー」をUPされてますので、
それをご紹介します。
この不幸がなければ、曲のサビの部分などもっと華やかに盛り上げて、
違った演奏になってたに違いありませんが、
テンポも少しゆっくりめで、
南さんのホイットニーに捧げる心のこもった、印象的なハーモニカになっています。
どうか皆さんも、ご一緒に聴いてみて下さいね・・・。
(クロマチックハーモニカ奏者 南里沙 オフィシャルウェブサイト)
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