2012年2月18日土曜日

ホイットニー・ヒューストンのことを少しだけ・・・


ホイットニー・ヒューストン。ステージでの顔と、プライベートで見せたはじけるような笑顔。


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ホイットニー・ヒューストンの急逝のニュースを最初に目にしましたのは、

前回の私の記事でジョーン・バエズのことを書いていました、まさにその時でした。

そこで私は、つい・・・、世界的に脚光を浴び名を残した、

偉大なこの二人のシンガーの人生を対比的に思わざるを得なかったのです。

かたやジョーン・バエズは18歳で歌手として活動を始めてから、

一貫して黒人の公民権運動と、そして反戦と平和を祈る唄を歌い続け、

その活動ゆえに、何度か投獄されたこともありましたが、

ブームは去り、時代は移ろい、

そして彼女自身も齢(よわい)を重ね、70歳を超えた現在(いま)でも、

ただ地道にひたむきに、己の信念を貫いて、

路上や、野外コンサートを中心に・・・歌っています。

かたやホイットニー・ヒューストンは、

幼いころからゴスペル歌手だった母親の英才教育を受け、

また、従姉(いとこ)にはあのディウォンヌ・ワーウィックらがおり、

10代のころからチャカ・カーンらのバックコーラスをつとめ、

さらにはホイットニーの名付け親であり、のちに代母となったのが、

アレサ・フランクリンなのですから、すごいですね。

そんなエンターテインメントの王道を歩み、

1985年、22歳の時に出したデビューアルバムはベストセラーになる大ヒットとなりました。

パワフルな4オクターブの魅惑の歌声は世界中を魅了し、

皆さんご存知の「ボディーガード」の「オールウェイズ・ラブ・ユー」につながっていく訳です。

ただし、世界の人々を感動させたその類い稀なる才能と、

エンターテインメントでの大成功とは裏腹に(あるいは、それがゆえに・・)、

その後の彼女の人生は悲惨を極めたものになっていったようです。

夫からのDVや、薬物依存症、アルコール依存症、などなど・・。

そして悲しいことに、つい先日、彼女のステージの幕は永遠に閉じられました・・・。

さて、ジョーン・バエズとホイットニー・ヒューストン。

この二人のシンガーの人生を、もちろん比較することはできませんが、

どちらも偉大なるシンガーであることは、間違いありません。

運命ってこともあるのかもしれませんが、

「幸せって、いったい・・・???」ってことも含めて、

ある種の感慨を持って私の心にひっかかり、

考えさせられたこの一週間でした。

なにはともあれ、私にもまたその驚異的な歌声で感動を与えてくれた、

ホイットニー・ヒューストンの早すぎる死を悼み、

心からご冥福を祈りたいと思います。

多くの方々のブログの中で、ホイットニー・ヒューストンの死去について取り上げられ、

彼女自身の歌声をYouTube等の映像で掲載されておりますので、

ここでは、私のブログではお馴染みになってきました、

南里沙さんがホイットニーの不幸なニュースの直後に、追悼の気持ちを込めて、

「オールウェイズ・ラブ・ユー」をUPされてますので、

それをご紹介します。

この不幸がなければ、曲のサビの部分などもっと華やかに盛り上げて、

違った演奏になってたに違いありませんが、

テンポも少しゆっくりめで、

南さんのホイットニーに捧げる心のこもった、印象的なハーモニカになっています。

どうか皆さんも、ご一緒に聴いてみて下さいね・・・。

(クロマチックハーモニカ奏者 南里沙 オフィシャルウェブサイト)





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