2012年2月26日日曜日

寒猫がいく、年末年始南九州ミステリー紀行・・・その8(高千穂牧場)


日付が見えますとおり大晦日です。宮崎県都城市です。
鹿児島県との県境近く、霧島山麓の広大な丘陵地にあります
「高千穂牧場」に、ちょうどお昼頃立ち寄りました。
目の前には霊峰高千穂峰が、雄大に横たわっています。


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本文に入る前に、今日の一曲です。

1月14日付の青井阿蘇神社の記事での今日の一曲で、

椎名林檎と長谷川きよしのデュエット曲「灰色の瞳」をご紹介した時に、

次の回は、この曲をって考えていた映像があったんですが、

私、すっかりその事を忘れてしまっていまして・・・。

その曲とは、先に言ってしまいますと、

このブログにもたびたび登場してもらいました、糸子ちゃんが主人公をやってます、

連続ドラマ「カーネーション」の主題歌「カーネーション」(椎名林檎)です。

ドラマをご覧の皆さんはお解りだと思いますが、

ついこの間まで女学生だと思ってました糸子ちゃんが、

すでに50歳を過ぎてしまいまして、どうやら・・・、

寂しいことですが、「カーネーション」が終わってしまうのも間近のようです。

そうなりますと、機会を逃してしまうっとことにもなりかねず、

・・・さて、今日の一曲です(笑)。


ちょいとばかし、今日の話題と雰囲気がそぐわない感じもありますが・・・、

そんなこたぁ、気にしないで一気に突っ走ることにしまして、

たどり着いたのが、ここ「高千穂牧場」です。


とにかく広大な丘陵地帯です。こんなに広々とした大地の中にわが身を置いて、

360度どの方角を見渡しても、胸のすくような風景を眺めるなんてことは、

日常生活では皆無ですから、とっても気持ちのいいところです。

特にこの日は、青空が広がっていましたからなおさらです。

芝生に腰を下ろして、あるいは寝っ転がって、いつまでも眺めていたい、

・・・・・そんな気分でした。

工場の内部です。この牛たちが、この牧場の美味しい商品群の原料を産み出してくれています。

「ハーフリンガー種」の馬くん。この子の名前は忘れてしまいました・・・ゴメン(^^ゞ。
ふるさとはオーストリアのチロル地方です。
ポニーとサラブレッドの中間の大きさです。

この子はさっきまで、お客さんの乗馬体験の仕事をしてました。
仕事を終えて、係員の方に手入れをしてもらっています。
精悍な顔つきで、なかなかの美男子でしょう?

それにひきかえ、このマイコときたら・・・、
「これこれマイコ!女の子なんだから、そのゆるんだ口元をもっと引締めなさい!
お客さんがいるんだから・・・。」

「はーーーい♡」
「・・・・・、まったくお前は、いっつも返事だけなんだから(汗)。」

「どうかしら、私だってなかなかの美人でしょ?、
なのにお客さんには、マイコの方が人気なのよねぇ。
人生って皮肉なものよねぇ・・・。くやしいわぁ。」

「もぉーーー、そんなことはどうでもええんじゃ。
おまえたちも外に出てこんかぁぁ、この大空と大地の中で、
深ぁ~く呼吸をしてごらん。気持ちええぞぉぉ・・・。」

この牧場の数々のおみやげや乳製品等を売っている「ファーム・ショップ」と
280席ある「まきばのレストラン」の前にある牛のキャラクターのオブジェ。
その大きさ(サイズ)が分かるように、通りすがりの人に「ちょっと座ってくれませんか?」
ってお願いしたら、快(こころよ)く「こんなもんでいいですか?」って座ってくれました。

子牛や子羊などが一緒に遊んでくれます「動物ふれあい広場」での一コマ。楽しそうですね(^^♪。


なにしろこの日は年末の、それも大晦日でしたから、

皆さん忙しくて、観光客も少ないだろうと思っていたのですが、

あにはからんや、けっこうな人数のお客さんで驚きました。

駐車場・入場料が無料で運営されているってこともあるんだと思います。

大駐車場を眺めてみると、鹿児島や宮崎ナンバーの車が多数止まってました。

普段の買い物や食事や、家族のちょっとしたレジャーに、

地元の人たちが繰り返し利用されているってことではないでしょうか。

それだけ地元民に愛されている施設なんだと思います。

だって、男二人で訪れました私も(^_^;)、

心の洗濯になって、十二分に楽しめたのですから・・・・・ハイ(^^ゞ。


この日の最終目的地である霧島神宮は、

すでにこの場所から、さほど遠くありません。しかし、ここから直接行くには、

まだ時間が早過ぎましたので、とりあえず道の駅「霧島」へと向かったのでありました。


最後に、冒頭にご紹介しました「カーネーション」のオープニング・テーマを、

私の大好きなウクレレで演奏されている方を見つけましたので、

よろしければ、ぜひ一緒に聴いていただきたいと思います。

私も、こんなにうまく弾けたらいいなと心から思いますが、

とてもとても、まだまだです(汗)。





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2012年2月21日火曜日

ホイットニー・ヒューストンのことを少しだけ・・・その2


先日、惜しくもこの世を去ったホイットニー・ヒューストンと、
白人女性ジャズボーカルの先駆者的な存在で、天才とも呼ばれたアニタ・オデイ。


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タイトルに「少しだけ」って書いたにもかかわらず、

少しでは物足りなくなってしまいました。・・・・・で、その2です(^^ゞ。

現地時間の19日、ホイットニー・ヒューストンの遺体が米ニュージャージー州ウェストフィールドの墓地に埋葬された。報道によると、墓地の周辺には大勢のファンが集結し、遺体を乗せた車を見送ったという。ヒューストンは2003年に死去した父親のジョン・ヒューストンさんの遺体の隣に埋葬された。
                                2月20日付MTV Newsより


ホイットニー・ヒューストンの死を悼んで寄せられたという、

コメントをふたつ。

「悲しみに打ちひしがれている。彼女ほど才能にあふれた唯一無二の存在はいない。」
(クインシー・ジョーンズ)

「彼女は地球上で最も優れた歌声の持ち主として、世界中の人々の心に輝き続けることでしょう。」
(マライヤ・キャリー)

また、彼女より5歳年下のセリーヌ・ディオンは、インタビューに応(こた)えてこう言っています。

「ホイットニーは私にとって素晴らしいお手本でした。ドラッグと彼女を取り巻く環境(人間関係や

ショービジネス等)が悪影響して、彼女の夢と母性を奪い取ってしまった。

エルビス・プレスリー、マリリン・モンロー、マイケル・ジャクソン、エイミー・ワインハウス・・・。

これらの人たちの死には、薬物がまとわりついている。ホイットニーもまたそうでした。

愛情も家族もファンも母性も、彼女はすべてを持っていたけど、ドラッグがそのすべてを破壊して

しまった。私にも3人の子供がいるけれど、ホイットニーにも家族があったのよ。

それ以上何が必要だったというの?

家族、愛、母であるということ・・・。これに勝るものなんてないでしょう?

ステージに立つために薬を飲み、起きるために薬を飲み、寝るためにも薬を飲み・・・、

不幸としか言いようがないわ。」

確かに、2000年ハワイの空港で大麻所持で拘束されており、

この頃から健康を害し、体重激減の姿をたびたび見られるようになっていて、

ホイットニー自身もテレビ番組で、大麻やコカインを常用していたことを告白しているそうです。

2004年以降は、アルコール・薬物依存からの脱却のためのリハビリ生活にも、

取り組んでいたとのことです。

ショービジネス界等で、彼女に群がるある種の人々に大金をむしり取られ、

そしてまた、大麻やコカインを購入するのに大金をはたき、

さらには、その薬物依存やアルコール依存の治療のためにもまたお金を使いました。

亡くなった日のわずか10日ほど前に、こんな報道があったことも事実です。

今年、新作映画『Sparkle』で銀幕に帰ってくるホイットニー・ヒューストン。しかし、どうやら諸手を上げての 'カムバック!' というわけではなさそうなのである。<Daily Mail>によると、なんとホイットニーは全財産を使い果たしてしまい、現在破産寸前であるというのだ。
<Radaronline.com>に、ある人物が話したところによると「もし誰も手を差し出さなかったら、彼女は今頃ホームレスだよ。本当に金がなくて、もうほとんどジョークみたいな状況」なんだとか。
10年前に、現在所属するアリスタ・レコードと1億ドルという史上最高額の契約金で契約し、再びシーンに浮上したホイットニーだったがそれ以降、薬物中毒やボビー・ブラウンとの破滅的な結婚生活の末の離婚など数々の困難が彼女を襲った。そして今や破産寸前という状況だと言うのだから、実力を備えたスターの末路としてはあまりにも悲惨な状況だ。最近も僅か100ドルを借りるために知人に電話していたのだとか。ある関係者は「彼女は本当ならマライア・キャリーくらいに金持ちのはずなのに、いまじゃ完全に一文無しなんだ」と話している。
しかし本人は、これらの一連のニュースは実際よりも大げさに伝えられているものだとして、「そんなの嘘よ。バカバカしい!」と<Daily Mail>に対して否定しているという。
『Sparkle』の中で、ホイットニーは主演キャストとプロデューサーを兼任している。返り咲くことが出来ればこの上ないことだが、現状がどうであれ、そのギャラが入ればしばらくは不自由ない生活を送れるのではないだろうか...。
by AOL Music Staff (SH) (2012年1月30日 3時30分)


ここで私がどうしても思い出してしまいますのは、

この記事の冒頭にその名をあげましたアニタ・オデイです。

ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン等等と並び称される、

ジャズ界の大御所と言っても良いのではないでしょうか。

魅惑のハスキー・ヴォイス、歯切れの良いスキャットを交えた独自の唱法、

その当時のトップのジャズマンらからも慕われる、姉御肌の性格でもあったようです。

その後の女性ジャズヴォーカルらにも、多くの影響を与えています。


アニタ・オデイ - 二人でお茶を
Anita O’Day-Yesterday/Yesterdays(live in Norway ’70)

一つ目の映像は、1958年のニューポート・ジャズフェスティバルの4日間の模様を映画化された、

有名なドキュメンタリー映画「真夏の夜のジャズ」の中の前半のハイライトともいえる、

アニタ・オデイのシーンからの一コマです。かっこいいですね。

アニタ・オデイにつきましては、多くの方がブログに残しておいでですので、

そちらを参照していただくとしまして、

つまり、彼女もまた、ジャズシンガーとしての栄光とは裏腹に、

ドラッグの影がつきまとっていました。

どれほどの量の薬物が、どれほどの期間にわたって彼女の身体を蝕(むしば)んでいたのか、

想像することも出来ませんが、

なんとアニタ・オデイは、その治療のために20年間という途方もない日々を費やしています。

そんなことがなければ、一財産を築いたアニタだったのでしょうが、

やはりドラッグに使ったお金と、その治療に費やしたお金とで、

ほとんどの財産は消えてしまったようです。

ただし、アニタ・オデイは、1919年生まれで2006年に没しています。

そう、87歳まで彼女は生きました。

ロスアンジェルス郊外の病院で、静かに息をひき取ったアニタ・オデイでしたが、

80歳を過ぎてもコンサートで歌っていたと伝えられています。

その人生の多くの年月を、ドラッグにつきまとわれた苦闘の日々を過ごし、

財産も残せなかったアニタ・オデイにも・・・・、

歌だけは残っていたのでした。


お父さんの遺体の隣に埋葬されたというホイットニー・ヒューストンさんが、

どうか安らかに眠れますようにと、祈りたいと思います。





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2012年2月18日土曜日

ホイットニー・ヒューストンのことを少しだけ・・・


ホイットニー・ヒューストン。ステージでの顔と、プライベートで見せたはじけるような笑顔。


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ホイットニー・ヒューストンの急逝のニュースを最初に目にしましたのは、

前回の私の記事でジョーン・バエズのことを書いていました、まさにその時でした。

そこで私は、つい・・・、世界的に脚光を浴び名を残した、

偉大なこの二人のシンガーの人生を対比的に思わざるを得なかったのです。

かたやジョーン・バエズは18歳で歌手として活動を始めてから、

一貫して黒人の公民権運動と、そして反戦と平和を祈る唄を歌い続け、

その活動ゆえに、何度か投獄されたこともありましたが、

ブームは去り、時代は移ろい、

そして彼女自身も齢(よわい)を重ね、70歳を超えた現在(いま)でも、

ただ地道にひたむきに、己の信念を貫いて、

路上や、野外コンサートを中心に・・・歌っています。

かたやホイットニー・ヒューストンは、

幼いころからゴスペル歌手だった母親の英才教育を受け、

また、従姉(いとこ)にはあのディウォンヌ・ワーウィックらがおり、

10代のころからチャカ・カーンらのバックコーラスをつとめ、

さらにはホイットニーの名付け親であり、のちに代母となったのが、

アレサ・フランクリンなのですから、すごいですね。

そんなエンターテインメントの王道を歩み、

1985年、22歳の時に出したデビューアルバムはベストセラーになる大ヒットとなりました。

パワフルな4オクターブの魅惑の歌声は世界中を魅了し、

皆さんご存知の「ボディーガード」の「オールウェイズ・ラブ・ユー」につながっていく訳です。

ただし、世界の人々を感動させたその類い稀なる才能と、

エンターテインメントでの大成功とは裏腹に(あるいは、それがゆえに・・)、

その後の彼女の人生は悲惨を極めたものになっていったようです。

夫からのDVや、薬物依存症、アルコール依存症、などなど・・。

そして悲しいことに、つい先日、彼女のステージの幕は永遠に閉じられました・・・。

さて、ジョーン・バエズとホイットニー・ヒューストン。

この二人のシンガーの人生を、もちろん比較することはできませんが、

どちらも偉大なるシンガーであることは、間違いありません。

運命ってこともあるのかもしれませんが、

「幸せって、いったい・・・???」ってことも含めて、

ある種の感慨を持って私の心にひっかかり、

考えさせられたこの一週間でした。

なにはともあれ、私にもまたその驚異的な歌声で感動を与えてくれた、

ホイットニー・ヒューストンの早すぎる死を悼み、

心からご冥福を祈りたいと思います。

多くの方々のブログの中で、ホイットニー・ヒューストンの死去について取り上げられ、

彼女自身の歌声をYouTube等の映像で掲載されておりますので、

ここでは、私のブログではお馴染みになってきました、

南里沙さんがホイットニーの不幸なニュースの直後に、追悼の気持ちを込めて、

「オールウェイズ・ラブ・ユー」をUPされてますので、

それをご紹介します。

この不幸がなければ、曲のサビの部分などもっと華やかに盛り上げて、

違った演奏になってたに違いありませんが、

テンポも少しゆっくりめで、

南さんのホイットニーに捧げる心のこもった、印象的なハーモニカになっています。

どうか皆さんも、ご一緒に聴いてみて下さいね・・・。

(クロマチックハーモニカ奏者 南里沙 オフィシャルウェブサイト)





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2012年2月12日日曜日

ジョーン・バエズは今も歌っている。


ジョーン・バエズって人を知っていますか?
ジョーン・バエズの歌を聴いたことがありますか?


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私のブログを見て下さってる方は、記事が2回別の話題に飛びましたので、

今度は南九州旅行記の続きだろうって、思われてた方もいるかも知れませんが、

いや、私自身もそう考えていたのですが、

私の気まぐれ虫がなかなか騒ぎを収めてくれなくて・・・、

今回は、ジョーン・バエズです。

1941年1月9日生まれですから、現在71歳になります。

父親のアルバートは物理学者であり、そして彼は軍需産業への協力を拒否しました。

そういう環境が、彼女の1960年代から現在まで続く公民権運動と反戦活動に、

大きく影響を及ぼしたようです。

1959年から歌手としての活動を始め、

トラディショナルなフォークやブルース等を中心に、

またたく間に「フォークの女王」と呼ばれる地位を確立していきました。

彼女自身のコンサートに、まだ無名だったボブ・ディランを連れ出して、

彼がブレイクするきっかけを作ったことに象徴されるように、

その後の多くのシンガーが、彼女のスタイルを踏襲し、多大な影響を受けたようです。

つまり、音楽のひとつのジャンルを作り上げた、

その礎(いしずえ)となった一人だと言えるでしょう。

代表的なその当時の曲をあげてみますと、「花はどこへ行った(の)」や「ドナ・ドナ」や、

「500マイル」等があり、私もその頃から知っていました。

ただし、思い返してみると、私はジョーン・バエズが世の中でもてはやされていたその当時、

まだ小学校の低学年だったのです・・・。

つまり、一世代違うのです。私が本当に音楽に心魅かれていったのは、

たぶん、高校生の頃以後でして、その頃は既に私の中では、

ジョーン・バエズって名前は、偉大ではあるが、既製の音楽の歴史の中での人物のひとり・・、

みたいになっており、彼女以降に登場した幾多のシンガーが、

流行していたって訳です。

ですから、特に興味を持って聴いたこともなかったし、

なんか、音楽の教科書に出てきそうな、そんなイメージでとらえていました。


この映像が1965年のものですから、彼女は24歳ですね。

これも、見ていただければ分かるように比較的若い頃の映像のようです。


今あらためて、こうして聴いてみると、本当にきれいな歌声ですね。

心を洗われるような、澄みきった天使の歌声だと思います。

上の白黒の映像の時は、私はまだ小学生だったのですが、

下の映像の時は、あるいは私が、洋楽ポピュラーを卒業して、ジャズに傾倒していこうとする、

そんな頃だったのかも知れません。

その頃からの私はって言えば、ジャズ大好き人間に磨きをかけながら、

10年、20年と大人の時代を積み重ねてきた訳ですから、

私の中にジョーン・バエズは、ずっと長い年月に渡って、存在していなかったんです。

それが、ふとしたきっかけで50歳代も半ばにさしかかろうって頃(私がですよ・・)、

マスコミにもほとんど出てこない、現在のジョーン・バエズが歌っている姿が、

私の目に飛び込んできたのです。

その映像を、いくつかご紹介します。

これをご覧になって、どう感じられるかは、見ていただいた皆様それぞれに、

お任せすることにして、私の感想は控えることにいたします。

ただ、この年齢になった私に、勇気を与えてくれ、

前に進むのを躊躇(ためら)っているとき、私の背中を押してくれる、

そんな存在の一人になっていることだけは、間違いありません。


これは2005年9月のコンサートですから、ジョーン・バエズ64歳です。

2011年パリにて。ジョーン・バエズ70歳。

そして現在(いま)もジョーン・バエズは、世界のどこかで歌い続けています。

最後に、彼女の曲の中で、私の一番のお気に入り。

この一曲をご紹介して、今日はお開きにさせていただきます(*^。^*)。

「フォーエバー・ヤング」ジョーン・バエズ(2010年)


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2012年2月5日日曜日

M大学校友会諫早地域支部新年会にて・・・「前へ!」の闘魂いまだ衰えず!!


6区→7区・順位を上げた廣瀬(左)から北にリレー

チームをけん引してきた鎧坂主将、大歓声の中3位でゴールした。
箱根路では48年間勝てなかった早大を下しての総合3位。
ゴール直前の鎧坂主将の目には涙が浮かんでいた。


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今日は、あるお方からあの時の写真はまだかってリクエストがありまして、

確かにおっしゃる通り、私、今年に入りましてから年末年始の南九州旅行の、

話題をずっと引っ張っておりまして、しかも、

じ、実は、あと約5回分くらいの、その話題のネタを抱えてるって訳でして・・・(笑)、

は、はっ(苦笑)、新年会ネタがいつになったらUP出来るんやら、

分かったもんじゃありゃしません・・・・ッテ、オマエガイウナ!!(汗)。

で、今回はそっちの話題は一旦中断しまして、

毎年の定例となっております、私の母校のこの地区の校友会のメンバーが顔を揃えます、

新年会の模様の一コマを写真に撮ってましたので、ご紹介いたしましょう。

その前に、いつものように今日の一曲です。

パソコンでご覧の方は、是非この曲とともに記事をご覧いただけたら幸いです。

その曲の名は・・、「身も心も」宇崎竜童。

この日の新年会にご出席の皆様と(もちろん私とも)、同窓ってことになります。

私が在学中に所属しておりました「軽音楽クラブ」でもまた、先輩にあたります。

年齢が少し離れてますので、同じ時を共有したことはないんですが、

当時の「お茶の水」本校の本館地下の生協食堂横にあった、

棚に多くの楽器が雑然とに積み上げられた、狭くてきったなくて暗ぁ~い、

クラブの部室にいつもたむろしていたはずです。

その当時、宇崎さんは「軽音楽クラブ」にある6つのバンドのうちで、

「ディキシーランド・ジャズ」のバンドで、トランペットを吹いていました。

いわゆる業界用語でいう「シ・ー・デ・キ」ってやつです(笑)。

そして、その頃から彼の傍(そば)には、文学部でマドンナ的な存在だった、

阿木曜子ちゃんが、いっつもくっついていたこともまた・・・間違いありません(^_^;)。

宇崎 竜童(うざき りゅうどう、1946223日)は、

日本のロック歌手、作曲家、俳優、映画監督。

1970年代中期から1980年初頭にダウン・タウン・ブギウギ・バンド、

1980年代中期から1990年代初頭に竜童組、

1990年代中期から後期に宇崎竜童 & RUコネクション with 井上堯之を率い、

バンドの活動の合間にソロとしても活動する。

妻は作詞家の阿木燿子で、「作詞阿木・作曲宇崎」の

コンビは山口百恵の全盛期を支えた。


どうですか?いいでしょう?、この曲。ぜったい聴いて下さいね(*^^)v。

いま改めて聴いてみて、そう思いました。

作詞は、この曲もまた、もちろん阿木曜子です。

男女間の情念の世界って言いますか、女心の微妙な揺らめきって言いますか、

心の襞(ひだ)が震えてくるようなって言いますか、

言葉少なだけど、強い思いを一途(いちず)に訴えかけてくる女の瞳を連想させるような、そんな、

・・・・そんな詞(うた)。

ダークで寂しげだけど煌(きら)びやかで強さを秘めた、そんな言の葉たちを手玉にとって、

織り込んで紡(つむ)ぎあげる阿木曜子の詩は、彼女だけの独特の世界がありますよね。

この曲の詞も、まさに阿木曜子ワールドだって思います。

そこに宇崎竜童の曲を乗せて、宇崎さん本人の歌声で歌われると、

これはもう、たまりません・・・。

『愛とは呼ばずあなたに、愛(いと)おしい、そう打ち明けよう。』


・・・・・って、前置きはこの辺にしておきましょう。

タイトルに「いまだ衰えず!!」って、・・・「いまだ」って、特に書き足したのには理由があります。

それは、写真を見ていただければ分かります(笑)。

例年行われている新年会ですが、私は3~4年ほど不義理をして欠席してましたので、

本当に久しぶりの再会もあり、また、初対面の方ともお会いできて、

私にとっては、懐かしく楽しい時を過ごせた会となりました。
 
場所は、八天町にありますここです。

(「水月楼」さん、いつもお世話になってます<(_ _)>。)



特に今年は、年初早々から記事のトップの写真のとおり、

後輩の在学生たちの、心躍る活躍があったことで、いつも以上の盛り上がりでした。

そしてそして、宴もたけなわ・・・、開会からおよそ2時間ほども経過した頃、

お決まりの・・・、定番の皆の行動はって言えば・・、

その場面での、写真です。

なお、私に写真を撮られたのが運のつき(笑)。

まぁ、この会に家族には内緒で出掛けてきたって人もいないでしょうし、

ましてや、指名手配になってて、時効間近だって人がいるとも思えませんので、

思いっきり顔出ししています。どうかご了承くださいm(__)m。

この方、いつもは飲まないお酒を飲み過ぎたのか、足元がふらついてます。
なにかやらかそうとしてるようですが、おっとっと・・・。
でも大丈夫。右の後輩の方がちゃんと優しく見守って、万一に備えて身構えてます(笑)。

あぁ、みんなで輪になって肩を組んで、母校の第一応援歌の合唱を始めるぞって、
その音頭取りでした。「みんな~~、準備はいいかぁ?、あっほれ、いち、にぃ、さん!!」

「あ、あんた、紫紺の歌って、覚えとるや?」「う・・、うん(汗)。」

「おいおい、自分だけ寝たふりしちゃいかんばい!」

「ははは、歌は隣の人に任せとります・・・。」

「みんなぁ~~、歌え歌えぇ~!!」「・・・お前もな。」

「はい、私に任せてください!。」「光輝みつわれ等が 母校明治の名をおいてぇ♬
 若き血に勇める 猛き精鋭今ここに♫」「三番までいきますよ!♡」「えっ?(;一_一)」

ちょっとピンボケで、ごめんなさいm(__)m・・・by私。

カメラ意識せんで、歌えよ・・・浩三くん。

おおっと、この人、誰か助けろ!。・・・ん?、いやいや、なんか周りの人みんな、手を叩いて??

あぁ、そうか、応援団の定番の「炎の拍手ぅぅぅ~~!!」ってやつでした(*^。^*)。
「なんだかこのお方、いつもより乗ってるんじゃない?」「い、いや、いつもこうだよ(汗)。」

「面白かねぇ、この人。もっとやってちょ。」

「ん?校歌の『白雲なびく』か、よしゃ!これなら私に任せとかんね(*^^)v、
あ、まぁゆぅ~ひぃいでたるぅ、若人がぁ・・・ッテ、オイノコトタイ!!。」

「なんてや?、二番も歌うとや・・・、ん~~っと。」

こうして今年の楽しかった新年会も、無事に締めを迎えたのでありました。

なお、「いっちょん歌いきらんやったばい。」って方のために(念のため)、

http://jtkanehira.com/1s/obs7.htmlこちらのページに行ってみて下さいね。

そして来年は歌えるように、よぉく練習しておきましょう(●^o^●)。


って、こんな所で今日のブログを閉じようって・・・思ったんですが、

上の写真のM氏並に私も、なんだか乗ってきてしまいまして、

サービス精神満点の私としましては、「ア・ノ・写・真」も・・、

そう、私の秘蔵の「ア・ノ・写・真」も・・・、載せてしまおうかなって、

そんな気になってきたら、もう止められないって私の悪い性分で・・・、

だけどこれって、了解とってないもんですから(^_^;)、

本人には、絶対内緒にしておいてくれますか?

じ、じ、じ、じ、実は・・・、

今日写ってるなかの、どなたかの、

30年以上前の、いや、も、もっとかなぁ・・・^_^;。

つまり、若ぁーい頃の、お写真でございます(笑)。

では、その衝撃の画像です!!!。

あ~、いやいや、これは俺たち二人の写真を撮ってもらおうとしてたとこだったんだけど、
二人の仲を裂こうと、邪魔に入ってくる不届き者はいるは、
そうかと思えば、シラーっと、訳分からん手をつないだ二人がカメラの前に割り込んでくるはで、
ん?いや、ちょっと待ってくださいよ・・、この赤いトレーナーを着た男の人、
どっかで見たことがあるような気が・・・、
はっはぁ~ん、、、このお方、この頃から、・・・・こんなだったんですねぇ(笑)。

はぁ~~~、思い出深きこの写真・・・、皆さん、お若いですなぁーー(^_^;)。
わたくし、とうとう、・・・・・やっちゃいました。



お願いですからこの記事をご覧の皆さん、ご本人たちには内緒ってことで・・・、

ここだけの話にしておいてくださいね!!!(^^ゞ。。。。。




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