梅雨入りも間近なのでしょうか。鬱陶しいここ数日ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
昨日も小雨混じりの一日でしたが、お昼過ぎからそれまで重く垂れこめていた雲間をぬって、
微かに明るい日差しが見え隠れしたちょうどその頃、
ここ“諫早公園”の前を通りすがりましたので、思いついて車を止めました。
およそ一週間ほど前から、ここを通るたびに群生した“諫早菖蒲”の花の鮮やかな紫色が、
目に飛び込んできて・・・、気になっていたんです。
いらっしゃいませ(^^♪。ゆっくりしていってくださいね。
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朝、起きぬけに私は裏庭へ行った。
きのう、平松神社の境内のすぐ近くをながれる小川のほとりにひとむらの菖蒲を見つけ、
根ごと掘りとって移し植えたのである。裏庭のすみにほかよりは低い湿地があり、真夏でも
土は黒い。持ち帰った時刻に花はしおれてしまったが、いまあらためると再び生色をおびて
みずみずしい紫色で目をたのしませる。
父上は昨夜おそくまで書きものをされていた模様である。私はしつけない遠出に疲れて
夕食もそこそこにすませ、はやばやと湯をつかうや寝についた。朝まで夢も見ずに
寝入ったと思う。
・・・・・野呂邦暢「諫早菖蒲日記」(文芸春秋昭和52年4月発行)の第一章より引用・・・・・
半鐘が鳴っている。
今度は南である。音は風にさらわれて、とぎれとぎれに伝わってくる。 梅津川の土井が
切れたらしい、と母上はおっしゃった。
寛永末年には馬の鞍坂で手が洗えたという。元禄の大水では五百人余りの流れ亡者が
河口にただよったともきいている。さればこそ本明川の改修は歴代諫早家に課せられた
つとめであった。「田町、魚町、流れ町、諫早様は御船待ち、せめて住みたや上ん馬場、
目代(めしろ)にそびえる四本松」という俗謡は大洪水のあとはやったものという。
私は裏木戸から庭をのぞいた。ものぐるおしくどよめいている夾竹桃の気配が感じられる
だけである。裏庭はまっくらで、それと見当をつけたあたり、私が植えた菖蒲は見えない。
風で折れたか、水にひたっているかもわからない。土園川が溢れても、梅津川の土井が
切れても、よし本明の大川が氾濫しても、私は自若としていられる。菖蒲に異変が無ければ
他はどうなってもいいとさえ思う。
吉爺が帰って来た。
・・・・・同じく野呂邦暢「諫早菖蒲日記」の第一章より引用・・・・・
「諫早菖蒲日記」は、江戸時代幕末、佐賀藩の支藩だった諫早藩の砲術指南役であった
藤原作平太の娘、十五歳の志津を主人公とした野呂邦暢初の歴史小説です。
こうして、鮮烈な紫で人を惹きつけてやまない諫早菖蒲を目の前に佇んでいますと・・・、
作平太や志津の生きた時代からしたら、時は移ろい時代は流れ、
誰にも想像だに出来なかったであろう現代に私たちは身を置いている訳ですが、
人の心もまた、はたしてすっかり変わってしまったんだろうか・・・・・って、
そんなことを改めて、思ってしまいました。
だって、菖蒲の花はいつの時代でも、菖蒲の花だし・・・・ね。
今の時代を生きる私たちは、何か思い違いをしてるんじゃないのかなぁぁぁ。。。
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ということで、文芸春秋版は長らく廃版となっておりましたが、新しい装丁にて読めるようになったようです。まだ読んでない方は、私からもお勧めします。一家に一冊是非どうぞ(*´∀`*)。
最後までご覧いただき、ありがとうございました(=^0^=)
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